愛を学ぶ言葉 〜愛の中に昇る〜

(質問)
親愛なるOsho
恋におちるのはとても簡単です。けれど、恋から出てくるのはどうしてこんなに難しいのでしょう?とても多くの議論、涙、戦い、恐怖・・私は自分が一緒にいた人を傷つけたくありません、そこにフィーリングがないわけではないのですから。私はとても混乱しています。そしてあなたへの愛はまったく違うフィーリングのものです。何かおっしゃっていただけますか?

(Osho)
何か言うことがあるかね? すべては終わったのだ!

落ちることは常に簡単だ。あなたはどんなぬかるみにでも落ちることができる。出てくるほうが難しい。しかし、あなたは出てこなくてはならないだろう。ひとたび愛が消えたなら、ぬかるみは地獄になる。そうしたらそこには喧嘩が、いい争いが、小言が、二人ともが、ありとあらゆる嫌がらせをし合う。
誰も傷つけたくはない。だが、彼も傷つき、彼女も傷ついているために、彼らは自分の痛みの感情を、知らず知らず、相手に投げつける。

まず初めに、あなたが恋に落ち始めたとき、あなたがまだぬかるみにはまり込んでいない時、それが私に尋ねる時だ。 なぜなら私は、愛の中に昇るという、完全に違った種類のラブ・アフェアーに焦点を持っているからだ。 そうしたら、そこに問題はない。愛の中に昇るのは美しい。そして、そこから出てくるのもとても簡単だ、なぜならそこから出てくることは、落ちることだからだ。 落ちることは簡単だ、だからそれは次のステップとしてとっておきなさい。最初のステップは、常に昇ることに使いなさい。簡単な方を先にしたので、あなたは今、難しいほうをしなくてはならないのだ。

そして、そうしたことは起こるだろう―これらの涙、葛藤のすべて―けれど、愛を元通りにするものはない。

ごく単純なことが理解されなくてはならない―愛―あなたが話している愛のことだが―は、あなたの手中にはない。あなたはその中に落ちた。落ちることは、あなたの力によって起こったことではない。なので、それが来た時、あなたはそれに持っていかれたのだ。しかし、それはそよ風のようだった、それは来ては、去っていく。そして、それが来て、去ってゆくのは良いことだ。もしそれがそこにとどまるようなら、それは生気を失ってしまうだろう。

ごく小さな理解が、双方に必要だ。つまり、愛がもはやそこにはないということの。憎み合う必要などない、それを破壊した者などいないのだから―そしてそれを創り出した者などいないのだから。それはそよ風のようにやってきて、あなた方はそれらの瞬間を楽しんだ。お互いに感謝しなさい、そしてぬかるみから出るために、助けあいなさい。ぬかるみの中にいては、それが唯一できることだ。本当に男らしい男なら、ぬかるみから這い上がることができるように、彼女に方を貸してやらなくてはいけない。男は、どうやればいいか、自分を訓練すればいい。

だが、落ちる前に私に尋ねる者はいない。これは不思議だ!35年もの間、私は誰かがどうやって恋に落ちるかを尋ねるのを待っているのだが。誰もそれを尋ねる者はいない。なぜなら、もしあなたがそれを私に尋ねるなら、私は「恋に落ちるのはやめなさい。昇ることをやってみなさい」と提案するだろうから。 そして、愛の中に昇るとは、まったく別の事だ。

愛の中に昇るとは、学ぶことであり、変化であり、成熟することだ。愛の中に昇ることは、究極的に、あなたが大人になることを助ける。そして、二人の大人は諍わない。彼らは理解しようとする、どんな問題でも、解決しようと試みる。

誰であれ、愛の中に昇る者は、そこから落ちはしない。なぜなら昇ることはあなたの努力であり、そしてあなたの愛を通して成長したものは、あなたの手の内にあるからだ。しかし、恋に落ちることは、あなたの努力ではない。

恋に落ちること―そうした愛は、どこかで粉砕する、そして、それは去ってゆくものだと より早く理解されるほど、それはよい。そうでなかったら、あなたは千とひとつの事に絡めとられる。それらは、別れることを難しくする物事だ。

あなたが恋に落ちる時は、どんな問いも上がってこない。あなたは清浄で、相手も清浄だ。だが、別れたいとき、あなた方が共にいて愛し合った昼、夜、年月のすべてが、生の最も美しい贈り物の一つである何かを体験したので―あなたは絡めとられ続ける。

あなたはお互いに約束を与え続ける・・そして、あなたは嘘をついているのでも、だましているのでもない。それらの美しい瞬間には、そうした約束は完全にあなたのハートから来たものだ。だが、そうした瞬間が去ってしまったときには―そしてそれが落ちることであった以上、それらは去ってゆくだろう―、誰も永遠に落ちた状態にいることはできない。ある日、彼は再び昇らなくてはならない。そしてあなた方が離れ始めた瞬間、すべてのもつれが、あなたのした約束、相手のした約束が、複雑さを生み出す。

愛の中に昇ることは、スピリチュアルな何かだ。
恋に落ちることは、バイオロジカルな何かだ。

生物学的なものは盲目だ、だから、愛は盲目だと言われているのだ。だが、私が話している愛は、誰もが容易に手に入れることのできる一瞥だ。ただ少しの努力で・・

愛は、あなたの沈黙、気づきから、瞑想性からやって来るものでなくてはならない。それは柔らかく、それは縛らない― なぜなら、どうして 愛が、愛する者に足かせをはめることができるだろう?
それは互いに自由を与える、もっと、もっと―愛が成長するほど、自由は大きくなる。
愛が深まるほど、あなたはその人がそうであるそのままに、彼を受け入れ始める。あなたは、その人を変えることを止める。

恋人たちが、絶えず相手を変えようとしているのは、この世界の謎の一つだ。彼らは、もし相手が本当に変わったなら、彼らの愛は消えてしまうだろうということをしらない。なぜならそもそも、彼らはこの変えられてしまった人と恋に落ちたわけではないからだ。彼らは、「これを変えて、あれを変えて」という彼らのアイデアに触れられていなかったその人に 恋をしたのだから。

愛の中に昇るとき、あなたは相手が彼自身の居場所において絶対に必要なものを持っていることに気づく。そして、あなたはそれを侵害しない。

もし愛が自由になるなら、そこに別れの必要はない。別れという考えは、あなたがどんどん奴隷のようになっていくことを見続けることで起こってくる。そして、奴隷になりたい者はいない。

だが、あなたたちはいつも、ぬかるみにはまって出られない時だけ、私に尋ねる。ひとつ、確かなことがある。私はあなたたちを連れ出すためにぬかるみの中に入りはしない!あなたたち二人がそれはやらなくてはならない。 もし私があなたたちを助け出しにぬかるみに入れば、あなたたち二人は抜け出して、私がぬかるみにいることになるだろう!そうなったら、私は誰に頼んだらいいのかわからない。「どうやったらここから出られるんだ?」

私は違う種類の愛を教える。
それは友愛で終わるのではなく、友愛の中で始まる。
それは沈黙の中、気づきの中で始まる。
それは、あなた自身が創造する愛、盲目ではない愛だ。


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